朝日新聞より
座談会出席者
自治医科大学 学長 高久 史麿 先生
大阪市立大学大学院医学研究科 消化器器官制御内科学 教授 荒川 哲男 先生
熊本大学医学部臨床検査医学 助教授 岡嶋 研二 先生
エッセイスト 山内 美郷さん

胃潰瘍治療の新しい考え方
ピロリ菌退治だけで本当にいいのか?

 強い酸を分泌する胃の中に
ヘリコバクター・ピロリ菌が住みついていることが分かったのは1983年のこと。
 その後の研究で、この菌が胃潰瘍や十二指腸潰瘍(消化性潰瘍)の再発に深く関与していることが明らかになつた。
再発予防のためにピロリ薗を薬剤で駆除する「除菌療法」が、日本でも保険適用になつた。
再発を繰り返す潰瘍患者にとつては朗報だが、一方でピロリ菌だけが悪者ではないという声もある。

 自身も胃潰瘍の経験があるという山内美郷さんを交え、
専門の先生方それぞれの立場から 潰瘍治療の新しい考え方 について話し合ってもらった。

***ヘリコバクター・ピロリ菌は消化性潰瘍の再発と関係する・・・****
 

 【山内】 現在は健康なんですが、実は14歳で胃潰瘍、30代で十二指腸潰瘍を経験しています。
十二指腸潰瘍はとても重くて、穿孔すれすれと言われました。
最初の胃潰瘍からは かなり時間がたっていますが、その間、明らかに胃がおかしいなという状態を何度も繰り返しながら、十二指腸潰瘍でひどいことになったわけです.
 その後、ピロリ菌が胃潰瘍や十二指腸潰瘍に関係があるというニュースを聞き、経験者としてはとても興味を持ちました。まず、高久先生から潰瘍やピロリ菌全般のお話を聞かせていただけますか?

 【高久】 胃潰瘍と十二指腸潰瘍は、まとめて消化性潰瘍とよばれています。
日本では患者さんがあわせて120万人ぐらいいます。
消化性血潰瘍という名前は、原因がよくわからなくて、粘膜が消化酵素で壊されて潰瘍が出来るのではないかということから名付けられました.
 酸分泌抑制薬のH2ブロッカープロトポンプ阻害薬といった良い薬ができて、潰瘍治療は大変進歩しました。80年代初めに胃粘膜にピロリ菌がいるとの報告を聞いたとき、私は非常に鷺きました。酸性度が強い胃の中に住めるはずがないというのが、一般的な考え方でしたから。その後の研究で、どうもピロリ菌が胃炎や潰瘍の原因ではないかと言われるようになったわけです。

 【溝川】 5000年以上前のミイラの胃の中にもピロリ菌らしきものが確認されています.
菌の存在が証明されたのは 20数年前 ですが、実際にはずっと昔から人間の胃の中に存在していたと考えられます。ピロリ菌というと悪玉のイメージがありますが、実際はかなり人間と共存しています.
感染率は2人に1人と高く、地球の総人口60億人のうち半数がこの菌を持っていることになります。

 【山内】 それほど感染率が高い菌が、潰瘍と どう関係しているの でしょうか?
 
 【荒川】 ピロリ菌を抗生物質で除菌すると、潰瘍の再発がすごく減ることがわかって注目されました。
実際に、この菌が潰瘍を発生させるかどうかについては、スナネズミなど、ある種の動物は感染すると確かに潰瘍らしきものが発生します。
 しかし、サルなどでは感染を続けても全く潰瘍は発生しません。人間の場合も感染者の有病率で見ると、胃潰瘍、十二指腸潰瘍あわせて2〜3%ぐらいです。97〜98%の人は菌を持っていても潰瘍はできません。慢性胃炎でも、胃の組織をとってみれぱ炎症を起こしていますが、無症状のことが多いですし、健康に暮らしている人がほとんどです。ピロリ菌がすべての潰瘍の原因ではなく、その人の持っている 潰瘍体質とかストレスが加わって発生するのではないかと思います.
 
     
***除菌で逆流性食道炎が増加生活習慣病も増える可能性が・・・・****
 

【山内】 除菌療法が11月から保険適用になりました。
ピロリ菌を心配して受珍する患者さんは多いのでしょうか?

 【荒川】 マスコミでピロリ菌は胃ガンの犯人などと報道されると、検査してくださいという患者さんが増えます。ヘリコバクター学会のガイドラインによれば、除菌療法が保険の適用となるのは消化性潰瘍です。
 胃ガンもピロリ菌と関係するかもしれないといわれますが、はっきりした証拠がないので、適用から除外されています。実際に胃ガンのスクリーニングでピロリ菌の血清抗体検査をしているところもありますが、基本的に除菌の対象にならない人に検査するのは意味ないと思います。除菌療法も全く安全というわけではなく、軽いものでは下痢や味覚障害、重いものでは腸出血などの副作用があります。
ペニシリン系の抗生物質を使うのでアレルギーを起こすこともありますし、耐性菌の心配もあります。

     

【山内】 確かにピロリ菌が胃ガンの犯人などと聞くと、すぐ除菌しなければいけないと思う人もいるでしょうね。逆に、ピロリ菌がいることでメリットもあるのでしょうか?

 【荒川】 最近、いろいろ分かってきました。
 一つは、胃酸が食道に逆流して胸やけが起こる 逆流性食道炎 という病気が、除菌すると増えてきます。また、食道が酸で何回もただれることを繰り返すと、食道上皮の性質が変わってバレット食道という状態になります。その頻度や欧米ではちょうどピロリ菌の感染率低下と交差するような形で、80年代終わりから急速に増加しています。
 バレット食道がなぜ問題かというと、食道には扁平上皮がんガンと腺ガンがありますが、バレット食道が母地になって腺ガンのリスクが大体100倍に増えてくることです。欧米では食道腺ガンがかなり増加していて、ピロリ菌感染度の低下と関係するかもしれない・・と言われています。

 【高久】 日本でも感染率は減っているのですか?若い人はどうでしょう?
【荒川】
 日本では50歳を境に段差があり、50歳以上では約80%、50歳以下だと平均約30%です。
ピロリ菌は経口感染で、水やハエが媒介するともいわれます.50歳以上の人は水洗トイレもない悪い環境条件で育っているので、恐らく2〜3歳ごろに感染してずっと保菌しているのでしょう.
 私が心配しているのは、除菌療法が進むと生活習慣病が増えてもしかすると平均寿命も下がるのではということです。実際、除菌してピロリ菌がいなくなると、食欲が出て肥満や高脂血症になる傾向がみられます。共存共栄というか、ピロリ菌はそんなに悪いことばかりはしていない。
 そういう意味でも、やたらに除菌すればいいと考えるのは問題です。

 
   
 

胃潰瘍の原因として胃粘膜の炎症にも注目!!

 【天川】 ピロリ菌の問題もそうですけど、現在の消化性潰瘍の問題点は、繰り返し再発することです.
強力な酸分泌抑制薬ができて、今ある潰瘍を元のように戻すことは簡単になったのですが、再発するのを防ぐのは大変難しい。それで、ピロリ菌がいなくなれば、再発を繰り返すという運命的な状態がかなり減少してくるという意味で、除菌療法が注目されているわけです.
 実際には除菌すると すべての再発がなくなるわけではなく、除菌に成功しても半年後の再発率は20%に達するという報告もあります。ピロリ菌の除去だけでは全部解決しないのです。
私は再発を防ぐために本当に重要なのは、胃粘膜の炎症を抑えることではないかと考えています。
一度治った潰瘍でも、そこで炎症がくすぶっていると、ちょつとした刺激で再発が起こってきます.潰瘍の再発は、元あった場所に起こることがほとんどなのです。
逆に、潰瘍の治った部位で炎症もきれいになっていれば、ピロリ菌がいても再発しにくい。そういう治療を目指さないといけないと思っています.

 【山内】 より高いレベルの治療ということですね?

 【荒川】 われわれは「潰瘍治癒の質」と呼んでいるのですが、潰瘍の治りの質をよくすることがポイントです。ピロリ菌の除菌も一つの手段ですが、炎症が起こらないようにするほかの選択肢もあるという考え方です.

 【高久】 岡嶋先生は、胃粘膜の炎症という視点から胃潰瘍の研究をなさつていますが、
炎症と胃潰瘍の関係について説明していただけませんか?

 【岡嶋】 胃潰瘍の発生には、昔から胃酸が重要といわれていましたが、実際に酸が出過ぎている人は胃潰瘍患者の10%ぐらいとの報告があります。胃酸以外に胃潰瘍を起こす病因があるのではといわれていましたが、一部の患者ではピロリ菌の感染により胃炎から胃潰瘍が発生することがわかりました。
 そのようなケースではピロリ薗に感染すると胃粘膜に炎症が起こります。除菌すると潰瘍が治り、再発も減るということで、胃潰瘍の発生と再発に実は胃粘膜の炎症が重要な役割を果たすことがわかってきたわけです。
 胃潰瘍はピロリ菌だけではなく、解熱沈痛薬やストレスが原因でも起こります。
その場合でも、胃粘膜の炎症が潰瘍発生の母地になることが、われわれの研究で明らかになっています。

 【山内】 つまり、どんな原因であれ、胃粘膜に炎症が起こると、
そこから潰瘍が発生しやすいということなのでしょうか?

 【岡嶋】 胃粘膜にピロリ菌や鎮痛解熱薬、ストレスなどの要因が作用すると、本来は自分の体を守るはずの
好中球という白血球が過剰に活性化されます。好中球は活性酸素やたんばく分解酵素を出して、細菌などの生体異物を攻撃しますが、過剰に活性化されると敵を攻撃する以外にも、味方である血管の内腔を覆っている内皮細胞をも攻撃してしまいます.
 血管の内皮細胞は臓器の血液の流れを調節する重要な細胞です.これが傷害されると胃粘膜で血液の微小循環が障害され、好中球が血管を越えて胃粘膜に浸潤してきます.これが炎症です.
 炎症が起こっている胃粘膜は、非常にわずかな酸でも潰瘍がつくられやすい状態になります.


 【高久】 好中球について少し補足すると、白血球にはリンパ球、単球、顆粒球など、いろいろな種類のものがあります。好中球は顆粒球の一種で、顆粒が中性色素で染まる細胞のことです。白血球の70%を占めます。
好中球の一番大事な働きは、われわれの体の中に入ってきた細菌を食べてしまうこと。
好中球が少なくなると、重症の頃合は細菌感染症のため敗血症を起こして死亡することもあります.好中球は体の防御機構の中で一番重要な役目を果たしていますが、増えすぎるとかえって障害的に働く。そういう両面があると理解していただければと思います。

     

*****胃潰瘍の再発をどう防ぐか?炎症を抑える治療*****

 【山内】 私が十二指腸潰瘍になった時、お医者さまから説明されたのは、胃酸の分泌がひどくなると胃粘膜を自分で溶かしてしまい、そこがただれて潰瘍ができるということでした。
 胃酸だけではなく、好中球による炎症が問題ということですね?

 【岡嶋】 胃潰瘍における炎症の重要性は、胃粘膜を鍋に入れ、煮立たせた状態を想像すると分かりやすいと思います。鍋の下で、胃粘膜を煮込む炎が好中球です.煮込まれた胃粘膜は敏感になりますので、そこに胃酸が作用すると、潰瘍ができて、痛みや胸やけなどの自発症状がでてきます。これまでの治療は、酸の分泌を抑える、つまり鍋にフタをするだけの治療で、鍋の下で然えている炎はそのままです。ですから、薬を飲むのをやめるとフタが取れてすぐに再発する。再発を抑制することまで考えると、重要なのは炎症を抑えることなのです。
 ピロリ菌は、炎症の原因なので、除菌すると炎症が治まり、正常な胃粘膜の状態が回復します。除菌療法というのは、粘膜の炎症を抑制する治療と考えれば、理解しやすいと思います.下から炎で煮込まれることのない正常の胃粘膜は、胃の粘液に覆われています。この粘液は、胃粘膜が胃酸によって消化されるのを防いでくれるのです。ピロリ薗以外の原因による胃潰瘍でも胃粘膜の炎症が病変の母地になっていますから、除菌に限らず、薬剤でも炎症を抑えればいいわけです。

 【山内】 では実際、炎症を抑えるような働きをする薬剤があるのですか.?

 【高久】 今、胃潰瘍の治療によく使われるH2ブロッカーは、胃酸が出るときに働くヒスタミン受容体(H2レセプター)を抑制し、酸分泌を抑える薬です。われわれの研究で、そのなかの塩酸ラニチジンという薬剤には、好中球の活性化を抑制する、つまり炎症を抑制する作用があることがわかりました.動物実験でも、ストレスをかけたネズミの胃粘膜で炎症を抑制しました。
 炎症を抑制すると酸をかけても病変ができにくくなります。人でも炎症を抑制する可能性があると考えられます.また、胃の粘液を増やしたり、胃の防御因子を増やすような薬剤のなかにも、炎症を抑える作用があることが分かりました.今後は、そういう薬剤を用いて炎症を抑制するという新しい概念で、胃潰瘍を治療することが重要だと思います。

****潰瘍治療の新しい考え方・・ピロリ菌だけが悪者ではない・・・・・****

 【山内】 高久先生、昔は胃潰瘍というと、手術で治すという時代もありましたね.

実際は年間4000人ぐらいが穿孔や出血で亡くなっています。出血は早く処置すれば内視鏡でほとんど止血でき、
手術しないですみますが、遅れると出血多量で亡くなってしまいます。
 消化性潰瘍は今でも、放っておくと非常に危険な病気なんです。


 【山内】 実は私の父も胃穿孔になり、手術で胃を取りました.敗血症の心配などがあり、結構大変でした.いい薬ができたからといって油断してはいけないということですね。最後に、潰瘍治療について今後の課題や期待などがあればお願いします。

【高久】 昔から胃潰瘍も十二拍腸潰瘍も薬で治すのが原則でしたが、再発を繰り返すような場合は手術せぎるをえませんでした。H2ブロッカーやプロトポンプ阻害薬などのいい薬ができてからは、ほとんど手術をしなくてもすむようになりましたね。

 【荒川】 ただ、そういうすごくいい薬ができて、消化性潰瘍は治りやすい病気と考えられがちですが、


 【荒川】 除菌療法が保険適用になり、これから潰瘍治療の主流になってくると思います.しかし、消化性潰瘍すべての人が除菌の対象になるかというと、私はそう思いません。除菌しても再発する人、除菌に失敗しても再発しない人がいるように、潰瘍とは関係なくピロリ薗に感染している人もいるはずです.
 副作用などの問題もありますから、
除菌の対象は 再発を繰り返している人、
        あるいは 以前に穿孔や出血などの重大な合併症を経験した人 などに限るべきです。
 初発の人の場合は従来の治療、できればラニチジンやある種の胃粘膜防御薬のような炎症を押えるような杭潰瘍薬を投与して、その後再発するかどうかをみていくことが大事だろうと思います。

 【岡嶋】 ピロリ菌ばかりが胃潰瘍の原因のすべてのように思われていますが、実際は解熱鎮痛薬やストレスで起こる潰瘍もあります。除菌で炎症を抑制するというメカニズムをほかの潰瘍治療に応用するという意味でも、やはり炎症を抑制するような薬物治療を行っていくことが重要です.
 また、ピロリ菌に感染していても潰瘍まで至らない人もたくさんいます.そういう除菌の対象にならない人も、
胃粘膜の萎縮が進行していくと考えられます。
萎縮性胃炎を防ぐためにも、薬物で炎症を抑えていく治療が役立つと思います.

 【高久】 両先生のお話のように、潰瘍の発生にはピロリ菌その他の原因による炎症と胃酸の両方が関係するならば、除菌と同時に、炎症を抑える薬を処方することも大事になってくると思います.
 もちろん、抗生物質は副作用もありますし、最近は世界的に耐性薗の出現が同題になっています。
効果を確かめないで 長期に除菌療法を続けることは問題です.
炎症を抑える薬と併用して慎重に様子をみることが大事ではないでしょうか?

 【山内】 潰瘍体験者として大変参考になりました。どうもありがとうごぎいました.

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